久々のハノイ。街の喧騒と活気ある人々。旧市街のホワンキエム湖近くにあるホテルを出る。僕はブワッとしたハノイ独特の、生暖かく少し湿った空気を懐かしむように目一杯肺に吸い込んだ。



ホテル入り口を出て直ぐ左手に置かれた灰皿前で立ち止まると、無数に走り回るバイクを眺めながらタバコに火を付る。バイクから発する煩いくらいのクラクションが耳に飛び込み、以前と変わらない風景に少しだけ安堵した。



すかさずこちらに謎のTシャツを持って歩み寄って来る傘を被ったおばさん。僕は手で「要らないよ」と、咥えタバコのままジェスチャーで応じた。



半年ぶりか・・・



タバコを半分ばかり吸うと、腰の高さまである無駄に豪奢な灰皿へタバコを押し付ける。そして先程から目の前で手招きするバイクタクシーのオッさんに歩み寄った。



「Vincomショッピングセンターまでいくら?」


「50,000VNDだ」


「高いな。タクシーと同じじゃん」


「じゃ、40,000VNDだ」


「んー・・・」



50,000VNDは250円、40,000VNDも200円。正直、金額的には大差無いのだが、久々の値切り交渉を楽しむ。



「わかったよ、30000VNDでいい」


「オッケ!」



僕はバイクの後ろに乗り込むとオッさんは爆音と共に急発進した。突然の発進で身体が後方に倒れ、バイクからずり落ちそうになる。



「お、おい・・・」


「あんたは韓国人か?」


急発進の詫びを入れる訳でもなく、オッさんは俺を韓国人なのかと聞く。しかも、こちらに振り返りながら。なぜ、僕はいつも韓国人だと聞かれるのか。タイでもそうだ。



「違う!日本人だよ!」


「日本人か!」


「うん」


「アリガト!ナガサキ、ヒロシマ、トーキョー・・・」



何言ってんだ、こいつ・・・



最初はウンウンと相槌をしていたが、知ってる日本の単語を連呼するオッさんがウザくなり、途中から返事するのを辞めた。しかも、単語を発する時は丁寧にこちらに振り返る。



だから、危ないんだって・・・



程なくしてVincomショッピングセンターに到着した。バイクを降りた先では大きな音で音楽を流し、風船を持った若い男女が踊っている。子供連れの夫婦や夏らしい服装の男女がいそいそと歩き回っている。



オッさんにお金を渡すと「アリガト!トーキョー!」と大声で手を振りながら去っていく。うん、かなりウザいがどこか憎めないオッさんだった。



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僕は小説を読むのが好きだ。小説はいい。物語に入り込むとその一瞬は何もかも忘れる事が出来る。今回の旅では4冊の冒険物の小説を持ち込んだ。逆に言えば、それが無いと心が張り裂けそうになるからだ。



ここニヶ月、僕は狂ったように小説を読みふけっていた。そう、心の動揺を本で埋め合わしているのだ。仕事の合間も、家でも寝る直前まで。



それには理由があった。ちょうど二ヶ月ほど前からハノイ在住の彼女からのメールが途切れ途切れになり、電話も来ない、掛けても出ない。それでも朝と寝る時は簡単なメールが届いていた。



それが段々とメール自体が来なくなる。いくらこちらからメールしても返事は寝る前の深夜。心配になってどうしたのか聞いてみた。



彼女はただ「忙しい」を繰り返すだけ。いつしか「愛してる」「大好き」と言う言葉も来る事は無くなっていた。



彼女は大学を卒業し、去年からハノイの日系ホテルで働き出した。そして夜は日本人向けのカラオケで働いている。僕との出会いも2年半前のカラオケ店だった。



そんな彼女の変わりようが不安を大きくする。そしてチケットを予約して今日ハノイに降り立ったのだ。この不安の真実を求めて。