僕はできるだけ興奮しないよう、心を落ち着ける。どんな答えが来ても表面上だけは気丈にしておこうと心に誓った。



「どうしてお店を出すって言う重大な事を僕に黙ってたの?」



「・・・・」



彼女は即答出来ず、言葉を選ぶように考え込んでいる。僕はどんな答えが来るのか、何も言わずに彼女が話し出すのを待つ。



「・・・言ったらダメって怒るでしょ?説明も電話じゃ難しいし、ハノイに来たら言おうと思ってた」



ダメって言われるの分かっててなんで・・そんな大事な事、恋人に相談なしで進む事なの?・・・



「お金のサポートは本当に両親なの?」


「う、うん・・・」



彼女の両親がお金無いのはわかってる。でもそんな失礼な事を口には出せない。何を言えばいいのかわからず、沈黙が続く。



そんな彼女をマジマジと見る。やはり、学生時代の頃より随分垢抜けてて、買ってあげたことがないシルバーで小さなダイヤの付いたリングを嵌めていた。



「それティファニー?」


「・・・・・うん・・」



気まずそうに答える彼女。考えてる事はお互いに繋がったのだろう。誰から?なんて、聞いても無駄な事は尋ねないことにした。



「僕の事、好きじゃなくなった?」


「ううん、好きだよ」



そこは即答する彼女。



「じゃ、なんで教えてくれなかったの?」


「・・・・」



話がまた振り出しに戻ってしまう。ああ・・何言ってんだ・・俺・・



「お店に幾ら掛かったの?」


「たくさんだよ・・・」


「Aちゃんと負担割合を決めてたの」



Aちゃんと言う子は、同じカラオケで働いていた指名ナンバー1の女の子だ。昔から性格が合わず、彼女はアインちゃんの事を嫌いだと何度も僕に言っていた。



「え?Aちゃんの事嫌いだと言ってただろ?」


「うん、でもビジネスパートナーだから・・」



よくわからない・・・嫌い合ってる子達で新しいビジネスなんか始められるのか?・・・しかも彼女は大学卒業したての23歳。誰かのサポート無しではやれるはずがない。



「本当は○○社の社長がお金出したんでしょ?」



社長と言うのは彼女をいつも指名するお客さんの事。時々その名を彼女から聞いていた僕はストレートに聞いた。



「違う!お父さんとお母さんだよ!」


「本当?」


「本当!なんでそんな事言うの?信じてくれないの?」


「・・・・」


君の両親がそんなお金持ってるわけないじゃん。と、言いたいのをグッと堪える。しかも、また話が戻りかけてる・・・



「ご、ごめん・・・」



ベッドの上に座っている二人は、再び沈黙する。エアコンの音だけが小さくコトコトとリズムをとっていた。



過去、何度もこう言った喧嘩のような事はあった。勉強しながらカラオケ嬢だった彼女はどうしても色んなお客さんと知り合う。そして客として指名を貰うために週末はデートし、夜は食事をして同伴で店に入る。



だって僕と彼女だって最初はそうして出会ったのだから。そう言った客とのコミュニケーションについて、彼女を責める事なんてできるはずもない。僕だって最初は下心で彼女に言い寄った客の一人だったのだ。



頭の中では理解している。これは彼女の仕事なんだから、と。彼女は割り切ってるんだ、と。そう言った話をする度に彼女は僕に寄り添い、「大丈夫。私には貴方だけ・・。これは仕事なんだから・・・ね?」と、荒ぶる心を鎮めてくれていた。



しかし、今日はそんな雰囲気すら無い事に心が深く沈んで行く。 考えて考えて考えると、ふと脳裏に最悪の言葉が浮かび上がる。




もう、僕たちは終わりなんじゃ・・・



「嫌だ・・・」



思わず、思考がダイレクトに声となる。



「え?」



彼女は、こちらを見上げてきた。



「僕の事・・まだ好きですか?」



絞り出すように心から出た言葉。そして、その言葉は敬語になってしまった。



彼女は少しだけ時間を置くと



「うん、まだ好きだよ?ベトナム人は恋人は一人しか要らない。貴方の事は好き。だから心配しないで・・」



俯く僕の手にそっと彼女は手を添える。暗闇の中から急に光る粒のような輝き。そして少しずつ、その光は拡がりを見せる。



僕は彼女をベッドに押し倒す。キャッと言う小さな声。顔を寄せると彼女は目をスッと閉じた。



彼女を日本に呼んで一緒に過ごした12月から、久しい5ヶ月ぶりのキス。いつものように僕は彼女の上唇を、彼女は僕の下唇を合わせ、互いに軽く吸う。唇から突然に広がる安堵感、安心感が徐々に僕の心を充してくる。



ワンピースのチャックを下ろし、そのまま下着のホックを外す。んっ・・・と言う言葉と共に彼女は腕で胸をガードする。



「なんで?恋人でしょ?」



そう言うと、彼女は腕の力を抜いた。ワンピースを肩からお腹の方向にズラすと可愛い胸が現れる。小ぶりだが整った乳房を久々に見ると、そのまま口をあてる。



「あん・・・あ・・」



漏れる吐息。そして手を彼女の下腹部に滑らした。



「だ・・だめ・・」


「どして?」



彼女は僕の手を掴み、侵攻を妨げる。僕は意に介さず、下着の中に手を滑らしクレパスに向かう。



「だめってば・・」



そう言う彼女は腕を掴み、引き抜こうとする。僕は更に力で抵抗し、指をクレパスに押し込んだ。



あれ?全く濡れていない・・・



何度も何度も指で刺激をしても、小さな声を上げるだけで彼女の下半身の反応は全く無い。



え?え?・・



こんな事いつもは無かった。どんな場面でも感度の良い彼女は溢れるくらいの愛液が滴っていたのに・・



過去何百回、彼女とセックスしたかは覚えていない。でも「濡れない」って事は一度も無かった。このショックは僕の心の闇から広がりかけた光の粒を再び消し去る。



と、同時に彼女は僕の腕を下腹部から力強く引き抜き、おもむろに起き上がった。



「お客さんと食事だから行かなきゃ・・」


「え?もう行くの?」


「うん、遅いと怒られるから・・」


「・・・・」



僕は呆然としながら彼女は身だしなみを整える姿を目で追う。



「僕もお店に行っていいかな?」


「お客さん居るから・・・」


「ぇっ・・・」



彼女が言った「お客さん居るから」の、先の言葉は耳に入らなかった。何故ならその部分までで、既に僕に対する否定なのだから。



「じゃ。行くね・・」


「あ、待って。玄関まで送る・・」



どんな時でも紳士でいようとする事が自分なりのプライドだった。



「またね・・」


僕は心の動揺を無視して靴を履いた。そして部屋を出る際にチュっと僕の口にキスをし、扉を開けた。



一瞬だがタイレディのソレを思い出す。次に会うかわからない相手への「またね・・」の言葉。今、目の前にいる彼女が発した言葉がそれと折り重なる。



部屋を出ても、僕に腕も組まず手も握らない彼女。沈黙の中、エレベーターを降りてホテルの外に出る。



雑多な騒音の中、彼女はこう言った。



「もう、ここでいいよ。あとはタクシー拾って行くから」



そう言うと、彼女は歩みを早めて僕を玄関先に置き去った。


僕は魂が抜けたように彼女の後ろ姿を眺め、背中が米粒のようになるまで立ち尽くしていた。