小説を読む。ベッドに横になり、ひたすらに読みふける。無理な姿勢で首が痛くなっても、エアコンが効き過ぎて鼻水が出てきても、それを拭う事なくページをめくり続ける。



小説はいい。物語に入り込む時だけ僕は僕で無くなる。何も考えず、主人公となって冒険を進める事ができる。



う・・・胃が痛い・・・



僕を小説から引き離したのは首の痛みでも、鼻水とくしゃみでもなく、胃の痛みだった。



あ・・・もう20:30か・・



僕はベッドから起き上がると、凝り固まった首を何度か回し、鼻水をティッシュで拭き取る。



何か口に入れないと・・・



そう思い立ち、食欲の無いまま外に出る事にした。このホテルの辺りは旧市街のため、細かな路地が交錯してて土地勘のない人間は地図が無いと散歩すら危うい。



近くで食堂を探す事を早々に諦め、僕は再びバイクタクシーを拾う。



「ビンコムショッピングセンターまで」



馬鹿のひとつ覚えで日本人向けのレストランやカラオケが並ぶ地区まで行き先を告げた。



昼間よりも20,000VND高い50,000VNDを払い、何処でご飯にしようかとバイクを降りて歩き出した。



ハノイ特有の湿った生暖かい空気が身体に纏わりつく。彼女の事を意識的に外しているためか、あても無く歩く。



何度もバイクや車に轢かれそうになりながら、人とバイクで溢れかえる道をゆっくりと歩んだ。



「「才華(仮名)」か・・」



昔、慣れ親しんだ看板が目に入った。この店はラーメン屋で、もやし炒めが美味しくて何度か利用していた事がある事を思いだす。


記憶だとこことは違う場所にあったはず。しかも店は綺麗になっていて、店が移転した事は直ぐに理解できた。


僕はふらっと店に入り、ビールと餃子、塩ラーメンを注文した。



ビールが直ぐに出され、すかさず一気にジョッキ半分くらいまで飲む。一息いれると、タバコに火をつけた。



餃子とラーメンを待つようにじっとしていると、再び彼女とのことが沸き上がってくる。



まず頭に浮かんだのはホテルでの会話。「僕の事、まだ好きですか?」に対する「まだ好きだよ・・」の「まだ」と言う言葉。



それと、あの豪奢なティファニーのリング。濡れない彼女の下腹部と「お客さんが居るから・・」の一言。



そしてトドメは「またね」の言葉と軽いキス。タイレディ達と重なり合うあの言葉と仕草。



コーヒーショップでの会話も含めて、なぜ?なぜ?なぜ?と言う言葉が堰を切ったように溢れ出す。



胃が再び痛みだした。いつしか、目の前にラーメンと餃子が並んでいる。カウンター越しに店員がチラリとこちらを見やっていた。



く、食えない・・・というか、食べる気力が無い。



無理してラーメンと餃子を少しだけ口にしていると、左手の棚に一冊の日本人向けベトナム情報誌が置かれていた。



そこにはカラオケ店の紹介がされている。紹介されている店の半分は僕が知らない店。そう、カラオケ店の競争は激しく、閉店と開店を繰り返しているのだ。



彼女の開いたカラオケ店はここから直ぐの場所だったと、今更ながら思い出す。僕はラーメンと餃子の大半を残し、申し訳ないと思いながら会計を済ませた。



さて・・・どこに行こう・・・



店先でひとしきり悩んではみたものの。



僕は意識的なのか無意識なのかわからないまま、彼女が開店したと言う店の方角へ歩みを進めた。