Thai land……

 近代的な高層ビル群。大きな道路に隣接する巨大ショッピングモールや高級ホテル。

 そこから少し路地に入ると様々な屋台が立ち並び、雑多な人達で溢れかえっている。洗練された服を纏い、颯爽と歩く人々のすぐ脇で、ヨレた格好の小汚い人達が店の軒先で視線を彷徨わす。

 明と暗、富と貧困、勝者と敗者があちらこちらで無造作に入り混じり、この街の特異性を彩っている。

 オレンジ色の袈裟を纏った仏門の徒を敬い、跪いて祈りを捧げながらもその戒律を事もなげに破る人々。

 良しも悪しもここは「マイペンライ(大丈夫)」な微笑みの国。人を惹きつけてやまない最後の楽園。




アメージング……タイランド

 

 結婚している身でありながら、この地にドキドキするような恋愛を求め、はや八年が過ぎた。依然、俺は失恋続きである。


 そして今、ようやく結論じみた答えを得そうな所にまで、差し掛かったような気がしている。




         §



 2018年12月30日13:00。俺は四ヶ月ぶりにドンムアン空港に降り立った。28日からハノイで二泊、バンコクで五泊の旅。


 ハノイでは駐在の旧友たちと『飲みと談笑』に明け暮れていた。ベトナムの「H」とは未だに毎日ラインで連絡を取り合っていたが彼女は今、二店舗を持つカラオケ店のママになっている。


 Hが俺に内緒でカラオケ店を始めた頃から、俺の彼女への愛情は脆くも崩れ落ちた。パトロンの存在と彼女から見た俺の立場の下落。それが辛かった。


 店で客から可愛がられる立場から、モテない日本人オヤジをある意味『ハメる』事を生業とする事を選んだ彼女。


 元を正せば日本人オヤジと付き合う旨味を教え、普通の女子大生だったのが、いつのまにか禿げたパトロンを捕まえ、水商売へと足を踏み入れた彼女に対する個人的な罪悪感もあった。


 俺と付き合った影響なのかな……


 そう言う事もあって、今回の旅ではHには連絡せずに隠密でのハノイ滞在だったのだ。


         §


 ハノイ~バンコク便の飛行機の中でスマホのsimを交換していた俺は、着陸と同時にパタヤのバービア嬢「I」にメッセージを入れる。俺を空港まで迎えに来る約束だったのだ。


「今、空港に着いた。そっちはどこ?空港出口の場所はわかったか?」

 俺は一人で迎えに来ると言うIが空港まで本当に来れるのかが心配だった。


 返事が無い……。何度かメールしたが既読にならない。なんとも言えない不安に襲われる。返事が来たのはそれから二十分ほど過ぎ、イミグレを出てスーツケースが出てくるのを待っていた時だった。


「今バスに乗ったところ」


 そう返事が返って来た。


「マジか……」


 かなり萎えたが「ま、タイレディあるあるか」と、自分を納得させる。過去の経験から時間にルーズな事を責めても何も良い事が無いのは分かっている。別にドタキャンじゃないだけでもヨシとしよう。


 中々スーツケースが出てこないのと、タクシー移動では無い事を計算すると俺がホテルに着く頃とIがバンコク入りするのと同じ頃になりそうだと判断した。


「わかった。エカマイのバスターミナルに着きそうになったら連絡して欲しい。もし、そちらが着くのが早かったらこのホテルまでタクシーで来て。住所は……」


 そうメッセンジャーで彼女に伝えた。


「OK」


 そんな簡単な返事といくつかのスタンプだけが返ってくる。長旅で疲れてない?くらい言えんもんかね……


 俺は黒い大きなスーツケースをゴロゴロと引きながらBTSモーチット駅へ向かうバス停に向かった。事前にネットで何度も調べていたので直ぐに場所はわかった。


 移動費の節約、そして新たな体験をするために今回は便利なタクシーを利用しないことにした。まだ昼間で時間もあることだしね。節約だってちりも積もれば結構な額になるはずだ。その分、Iに使えばいい。


 バスを降り、モーチット駅の階段を登る。Iへの土産ばかりですっかり重くなった荷物を持っての階段の昇降は、正直五十過ぎのおっさんにはかなりキツかった。次回はその辺も含めてプランニングする事にしようと思う。


 バンコクのホテルはBTSサランデーン駅裏。駅まで徒歩五分ほどだが、重たい荷物を引きながらは、やはり体力的にキツかった。今回は名古屋ではなく、関空からのフライト。疲れもあったと思う。


 ホテルでチェックインを済ませ、Iにメッセージを送る。


「ホテル着いた。そっちは?」
 

 おい、返事ねぇ……。


 居眠りでもしているのだろうか。それともホテルに向かってる途中か?まさか、スマホの電池切れ?それだとホテル住所も覚えてないだろうし、俺に連絡も取れないじゃん……


 再び不安に襲われる俺。「魔都バンコク」で一人途方にくれるIを思うと心が痛む。もしかしたらエカマイのバスターミナルでどうしたらいいのかわからず、ウロウロしてるのかもしれない。


 Iはまだ21歳。一応、付き合った形の中では過去、一番若い。控えめで行動的なところがほとんどないので余計に心配になる。


 俺はシャワーを浴びるのも辞め、急いでホテルを出てサランデーン駅へ向かう。シーロム通りに出る所にバイタクが数台待機していた。


「エカマイのバスターミナルまでいいか?」


 俺が話しかけた奴は一瞬考えた感じだったが、一番若そうな奴に声を掛けた。


「あいつのバイクに乗ってくれ」

「エカマイまでいくら?」

「んー……200THBだ」


 少し高めを言ってるなとは思ったが、交渉なんかしている余裕は無い。


「オッケーだ」


 そう言って若い奴が乗る青いバイクの後ろに跨った。なんかチンタラしてやがる。


「これ被ってくれ」

「あ、そうだな」


 やけに汗臭いヘルメットを渡された。やべ……鼻もげそう……。それにしても最近は客もメット被らされるのか。


 って、おい……


 前走ってるバイタクの後ろのねーちゃん、メットしてねぇ!


 エカマイに着くまで観察してみたが、メット被らされてる人、案外多かった。でも見た感じ女の人は拒否してるのか、メットを被ってない人が多く感じる。元々鼻がバカな俺ですらヤバイ匂いなのだがら、なんとなく納得出来る。


 バスターミナルに着く。バイタクに金を払って急いでスマホを見ると、Iからメッセージが来ていた。


「寝てた。もうすぐ着くよ」

「そか……」


 どっと疲れが出る。Sorryくらい言えんのかい。俺は少しフラつきながらバスターミナル入り口にあるセブンイレブンの前でタバコに火を付けた。


「バスターミナル入り口のセブンの前で待ってる」

「OK」


 五分ほどだろうか。リュックを背負ったIが現れた。俺が以前買ってあげた黒いリュックでは無く、茶色の物だった。


「久しぶりだな!」

「うん!」


 やっと会えた安堵感か。少々イラついていた気持ちが一気に晴れる。


「タクシーでホテル行くぞ」


 そう伝えると俺はタクシーを拾い、ホテル名を告げた。タクシーの中でIの手を握る俺は、何となくだがIに違和感を感じていた。


 それはハノイ出発前、フロンティア6(タイ仲間のグルチャ名)のメンバーとの会話に遡る。